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たかはし女将、きもの警察を語る

日常できものを着ていて、「もしきもの警察に出会ったら…」と思ったことはありますか?

一般的に「きもの警察」という言葉は、良くないイメージで受け取られていることが多いと思います。

たとえば、帯が曲がっている人がいたとき、「帯が曲がっているので、直しますか?」と聞いて、帯を直してあげた場合、人によってはこの状況も「きもの警察」と感じられることもあるのかもしれません。一方で、きもの警察をきもの警察するような状況もありますよね。

今回は、きもの警察とは誰のことだろうか?というのではなく、きものをもっと楽しむために、きもの警察について、本気で考えてみました。

結論、きもの警察も愛

きものを楽しむ上で、あれダメ、これダメという言い方をもうやめたいと思いますし、お互いにしたくないなと思っています。なぜなら、きものを着ているだけで嬉しいし、着てくれただけで嬉しいからです。

たとえそれがどんなことであっても、あらら?ということであっても、きものを着てくれていると嬉しいし、もし好きじゃない着方であったとしても、きものを身に纏っているだけでヨシ!って感じです。

これを土台として考えていくと、結論、きもの警察も愛です。

つまり、きもの警察と言われてしまうかもしれない人って、きものを良くしたい、きものをきれいに着ていてほしい、着方を間違っていたらあなたが恥をかくよと、思っているのだと思います。

結果として、取り締まるという表現になっているのは、知っている人が知らない人に教える体になるので、おのずとマウントを取ってしまうような感覚があって、それが言葉や態度にちょっと出てしまうのではないでしょうか。

震災後の気仙沼で、きもの警察と言われるような状況に遭遇したことがあります。地元で私のことを知ってくれている人もいたり、きもので歩く人が少ないために、「あの人は、たかはしの人」ということが、ある程度は知られていると思っていました。

ある講演会に参加したとき、時間ギリギリに行ったため、バタバタと走って会場に入って座る席を探していました。

すると、「ちょっと」と声をかけられ、後ろから両肩を掴まれて柱の陰に連れていかれました。「お太鼓が曲がっています。私、着付け講師ですから直しますね。」と耳元で囁かれ、帯を直してくれたのです。

急いで車から降りるとき、背中をこすって帯が滑ってしまったのでしょう。きもの警察と言われる場面に出会えた嬉しさをこらえつつ、「ありがとうございます」とお礼を伝え、その方とわかれました。

たぶん耳元で囁かれるのが怖いと感じる場合もあるかもしれません。声をかけてくれた方にしてみたら、もし大きい声で話しかけたら相手に恥をかかせてしまうと思ったでしょうし、1分1秒でも人の目に触れる前に帯を直してあげようという親切心だと思うのです。

知らない人から囁かれて帯を直されたという状況だけを聞くと、陰湿な感じにも受け取れるのかもしれません。もちろん、捉え方もあると思います。

ただ、きものについて言わなきゃいけない空気感が、しきたりきものに囚われていた時代にはあったと思っています。

拙著『きものの不安をスッキリ解決』にも書きましたが、戦後の昭和30年代~60年代あたりは、しきたりきものに則ってきものを格上げして、高額のきものを売って、着付け教室もバンバン儲かった時代がありました。着るものとしてのきものの価値から、違った路線に行ってしまい、日常的に着るものではなく、権威主義になっていた時代がありました。

権威主義に巻き込まれた着付け教室で教わった人たちも権威的に教わるので、権威的になるという図式があったように思います。個人の問題だからではなく、そのるつぼにドハマりした人たちが多かったですし、蔓延してしまったと思います。

自由にきものを楽しむようになって広がる楽しさ

今は非常に自由度が増して、自由にきものを楽しむようになってきて、本当にありがたいなと思います。

たとえば、若い方もインスタライブやYouTubeで発信していますし、初心者ですと言いながら発信している方もいるし、いろんな着合わせ方を提案する方も出てきて、人口の多い地域ではかなり自由度が増しています。

きものでどんなことをやっても、人からギョッとされるような目で見られませんし、驚いたような顔をされることはないでしょう。逆に素敵だねと言われることが増えたり、ここ5年ぐらいで相当変わったと感じています。それを拍手喝采して見ています。

そんな中で、しきたりきものを語る人が肩身が狭いという図式を感じることもあります。

しきたりきもの、日常きもの、どちらも素晴らしいですし、まさに二大巨頭だと思います。

たとえば、しきたりきものしか知らない方が、日常きものを覗いてみると幅が広がるでしょうし、日常きものしか知らない方が、しきたりきものを知ることによって新たな美意識が生まれたり、美学が磨けることがあると思います。このように、しきたりきもの、日常きもの、どちらもお互いにリスペクトの関係なのではないでしょうか。

誰もがお互いに奨励する意識になれば、きものがますます楽しくなりますよね。
そんな世界に行きたいですし、そうなれば良いなと思っている方も、実際に増えていると思います。

しきたりきものを語る方も必要ですし、自由度をどんどん広げていく日常きものもすごくいいと思います。その両方を知ることによっていろんな幅が生まれて、きもの自体やきものを愛する気持ちを軸にして、世界が広がっていくと思っています。

正しい・間違いではなく、どれを選ぶのかが大切

何が正しいか間違っているかをジャッジするのではなく、どれを選ぶのかということが大切です。これはきものに限らず、人のことも、物事も、すべてジャッジしないことだと思っています。

何かに対して、ただ嫌だと言い切ってしまうと、背中を向けたくなってしまいます。
私は好きじゃないけれど、ちょっと望まないけれど、選ばないけれども、それを好きだという人もいるのが当然だというところを、少し探ってみると、意識が凝り固まっていることに気づけたりすることもありますよね。

日々、自分の頭の輪っかに愕然とすることがあります。たかはしのスタッフも若い子が増えてきて、ハッとすることが結構あって、それは自分の許容範囲の狭さだなと反省しています。

許容範囲を広げながら、いろんなものを楽しもうと思ったら、きものはますます果てのない沼だと思います。

たかはしの商品が絶対いいわけではないことをわかっていますし、大嫌いという方がいてくれていいと思っています。選択肢を選ぶひとつの基準になれば、その中で選んでくださる方がいれば本当にありがたいです。もし、嫌だという方がいたら、その理由を聞くことで勉強になることがいっぱいあります。ですので、何があっても良いよねと思っています。

もし、怖く言ってしまっている場合は、ぜひ優しく言ってあげてください。もし、「あなたそれじゃダメよ」と言ってしまうなら、「こうするといいと思うんだよね」と伝え方をデザインすることで、きもの警察ではなくきもの師匠になるのではないでしょうか。

きものについて教わるなら、優しい先輩、優しい頼りになる先輩に言われた方がいいですよね。

これからは、きもの警察という言葉を、愛を持って捉えていきたいなということで語ってみました。

きもの愛たっぷりの女将による動画はこちらの動画をご覧ください。

【愛すべき、きもの警察!たかはし女将、きもの警察を語る】たかはしきもの工房「ズボラ女将の和装の常識を斬る!」


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