たかはしのものがたり

東日本大震災がおしえてくれたこと

「満点スリップ®」をはじめとした新しい肌着にニーズを感じ、もっと認知してもらうための発信が必要だと思ったその矢先……、

あの東日本大震災が起こりました。気仙沼も火の津波に襲われました。

幸い、家族、スタッフとも命を失うことがなく、それが人様に申し訳ないと思う程の辛い災害でした。

店の商品や預かり品がすべて、津波とともに流れてきた重油混じりの海水と魚に溺れてしまったのです。

借り入れをして改装したばかりの店舗でした。もう店を続けることはできない――。

しかし、重油にまみれたとはいえ、きものをそのままにしておくことは忍びなく、水が出るようになってから何の展望もなく反物を水洗いしていました。

そのとき。

通りがかった一人のおばあちゃんが話しかけてきました。

「それ、売るのすか~?」

「まだわかんないです、店の再開もどうなんだか…」

「もし店開いて、(難ものを安く)売るようになったらおしえてけらいん。私、きものが好きでたくさん持ってたんだけんど、(津波で)ぜ~んぶ流されてしまった……」

聞けば、そのおばあちゃんは避難所暮らしで、もちろん買うなんてことは現実的には無理な話です。それでも、きものが欲しいと思ってくださる気持ちがうれしく、きものはただの衣服ではない、人の支えにもなる特別なものなのだとあらためて知らされた出来事でした。

2011年6月11日 震災から今日までの日々

店を再開すると、思いもかけず被災したきものが驚くほど持ち込まれました。

先のおばあちゃんと同じく、すぐに着るシーンがあってのことではありません。

大事な一枚だから。思い出のきものだから。

そして、形見としてきれいにして残しておきたいから。――辛い理由です。

多くの人は被災したら「きものどころではない」と言うと思います。

しかし、一枚のきものが被災した方々に小さな灯になったことも事実です。

それがきものだから、泥の中だろうと拾い上げ、お金をかけてでも再生させたいと考えたのです。

京染悉皆屋としてきものを再生させることは、一瞬であっても人々の琴線に触れることができたのではないかと思えたのです。

地元・気仙沼との共生

東日本大震災はあまりに大きな爪痕を残しました。

時間は経っていきますが、被災地はまだまだ完全治癒には程遠いのが現実です。

震災後、たかはしきもの工房は、地元との共生をもう一つの企業理念としました。

小さな店ですが、震災後はなるべく雇用を生むような経営を心がけてきました。また、地元のためにできることをできる範囲で推し進めてきました。

被災1年後に全国の呉服屋さんに呼びかけてきものを集め、無料配布会『被災地に着物を贈ろうプロジェクト』を行ったのもその一環です。流されたきものの代わりにはならなくとも、再びきものを手元における小さなよろこびを感じてもらえたら、と。「弟の結婚式があるのです」と、お母さんと連れ立って留袖を探していたご家族もいました。

きものを通してできることは、心に何かを届けることだと思っています。

震災後に、たかはしきもの工房は閉鎖するという縫製工場を職人さんとともに引き取り、清水の舞台から飛び降りる覚悟で自社工場としました。大きな理由は、きちんと見えるものづくりがしたかったから。また、新製品の試作を他社に依頼するのがとても大変だったからです。そして、なるべく国内生産にこだわるという点も当初から掲げていました。国内生産にこだわるのは品質管理とともに、国内の雇用を死守したいという想いがあったからです。

雇用は現在、地元・気仙沼で創出されています。

縫製工場

たかはしきもの工房の取扱い商品

京染悉皆と呉服販売業を業種としていた「御誂京染 たかはし」は、きものの肌着を主とした自社オリジナル商品を生産するようになり、「たかはしきもの工房」というブランドを立ち上げました。オンラインストアをオリジナル商品直営店として運営を始め、いまでは全国多くの店舗で取り扱っていただくようになりました。

その、たかはしきもの工房のオンラインストアで「こんなものも取り扱っているのですね」と言われる商品があります。

それが、海産物をはじめとした食品や地元気仙沼で製造された商品です(たかはしきもの工房本店 気仙沼名産品)。肌着のブランドが食品を扱うというのは違和感があるかもしれません。しかし、地元・気仙沼と共生すること。地元が元気になることで、私たち地元企業も元気でいられると信じています。

海藻
つばきオイル