たかはしきもの工房の物語
きもの専用の肌着メーカーとして全国区となりつつある「たかはしきもの工房」が現在に至るまで、後年大きな意味をもつ分岐点がいくつかありました。
きもの専用の肌着メーカーとして全国区となりつつある「たかはしきもの工房」が現在に至るまで、後年大きな意味をもつ分岐点がいくつかありました。
たかはしきもの工房は、1967年、先代女将・高橋節子が自宅の一室で始めた京染悉皆業から始まりました。
少しずつ呉服も扱うようになり、1978年に実店舗「御誂京染 たかはし」を構えました。
呉服業で屋号に“京染め”が付くのは、元々が京染悉皆業だった店の名残です。その5年後に、2代目の女将となる現社長・高橋和江が店を手伝うようになります。
和江が入店してから、現在につながるきものの肌着の商品開発に取り組むようになります。
——なぜ京染悉皆屋が肌着なのか。
京染悉皆屋として店頭に立ち、持ち込まれるきものの手入れの相談を受けているとき、和江はちょっと気が重くなることがありました。
たくさん着てから出される染め直しや、洗い張り、仕立直しなどはきものへ新たな寿命を注ぐことになり、京染悉皆屋冥利に尽きるよろこびがあります。
しかし、汗や体液の汚れで持ち込まれるきものは着た回数とは関係ありません。そしてお手入れの金額も安いものではありません。お手入れ代が気になって、タンスの引出しを開ける手も躊躇してしまうという現代の事情。特に女性特有の汚れで持ち込む時は恥ずかしさもあり、気の毒なほど。料金も当然高いものになります。きものから遠ざかる理由は様々ですが、手入れもその理由のひとつになっていることは確かでした。
これでは、「たのしく気軽にきものを着る」ことはできない。
きものがあるのに、「着ることを躊躇する」。
こうして、きものに汗や体液を付けない肌着の開発に着手しました。
加えて、和江は自分自身がきものを着るときに かねがね“面倒”だと思っていた部分を簡略化する工夫も取り入れたのです。
実用新案取得ののち試行錯誤で試作を繰り返し、2年後、「満点スリップ®」は世に出ました。
しかし――
あまりにも、それまでの「きもの」のイメージからかけ離れていた「満点スリップ®」は、まず「伝統的なきものらしくない」という、拒否反応の洗礼を受けるところからスタートしたのです。社内のスタッフにさえ理解してもらうまで時間がかかりました。
理解されにくい理由は、「和装の肌着は綿!」と思い込んでいるユーザーばかりなのに身頃を化学繊維にしたこと、防水布を貼り付けた内側の形態と、襦袢の各パーツを切り離した点でした。
多くの人は伝統文化でもあるきものを大事にしたいという気持ちが強いのです。そのものを大事にしたいからこそ開発された商品でしたが、皮肉にも逆にその点が拒否反応の理由にもなったのです。
一見、奇をてらったように見える満点スリップ®は、丁寧な説明が必要な商品でした。
しかし、着る人の本音を下敷きに開発された「満点スリップ®」は徐々に認知されて、ある時期、結界が取り払われたように多くの方々に支持を受けるようになりました。
それは、「伝統的なきもの」と「現実的なきもの」が着る人の中でミックスされてリアルクローズになったから、といえるでしょう。
そう、たかはしきもの工房のファンは、きものを、リアルクローズとして着る方が多いという特徴があります。
「満点スリップ®」をはじめとした新しい肌着にニーズを感じ、もっと認知してもらうための発信が必要だと思ったその矢先……、
あの東日本大震災が起こりました。気仙沼も火の津波に襲われました。
幸い、家族、スタッフとも命を失うことがなく、それが人様に申し訳ないと思う程の辛い災害でした。
店の商品や預かり品がすべて、津波とともに流れてきた重油混じりの海水と魚に溺れてしまったのです。
借り入れをして改装したばかりの店舗でした。もう店を続けることはできない――。
しかし、重油にまみれたとはいえ、きものをそのままにしておくことは忍びなく、水が出るようになってから何の展望もなく反物を水洗いしていました。
そのとき。
通りがかった一人のおばあちゃんが話しかけてきました。
「それ、売るのすか~?」
「まだわかんないです、店の再開もどうなんだか…」
「もし店開いて、(難ものを安く)売るようになったらおしえてけらいん。私、きものが好きでたくさん持ってたんだけんど、(津波で)ぜ~んぶ流されてしまった……」
聞けば、そのおばあちゃんは避難所暮らしで、もちろん買うなんてことは現実的には無理な話です。それでも、きものが欲しいと思ってくださる気持ちがうれしく、きものはただの衣服ではない、人の支えにもなる特別なものなのだとあらためて知らされた出来事でした。
店を再開すると、思いもかけず被災したきものが驚くほど持ち込まれました。
先のおばあちゃんと同じく、すぐに着るシーンがあってのことではありません。
大事な一枚だから。思い出のきものだから。
そして、形見としてきれいにして残しておきたいから。――辛い理由です。
多くの人は被災したら「きものどころではない」と言うと思います。
しかし、一枚のきものが被災した方々に小さな灯になったことも事実です。
それがきものだから、泥の中だろうと拾い上げ、お金をかけてでも再生させたいと考えたのです。
京染悉皆屋としてきものを再生させることは、一瞬であっても人々の琴線に触れることができたのではないかと思えたのです。
東日本大震災はあまりに大きな爪痕を残しました。
時間は経っていきますが、被災地はまだまだ完全治癒には程遠いのが現実です。
震災後、たかはしきもの工房は、地元との共生をもう一つの企業理念としました。
小さな店ですが、震災後はなるべく雇用を生むような経営を心がけてきました。また、地元のためにできることをできる範囲で推し進めてきました。
被災1年後に全国の呉服屋さんに呼びかけてきものを集め、無料配布会『被災地に着物を贈ろうプロジェクト』を行ったのもその一環です。流されたきものの代わりにはならなくとも、再びきものを手元における小さなよろこびを感じてもらえたら、と。「弟の結婚式があるのです」と、お母さんと連れ立って留袖を探していたご家族もいました。
きものを通してできることは、心に何かを届けることだと思っています。
震災後に、たかはしきもの工房は閉鎖するという縫製工場を職人さんとともに引き取り、清水の舞台から飛び降りる覚悟で自社工場としました。大きな理由は、きちんと見えるものづくりがしたかったから。また、新製品の試作を他社に依頼するのがとても大変だったからです。そして、なるべく国内生産にこだわるという点も当初から掲げていました。国内生産にこだわるのは品質管理とともに、国内の雇用を死守したいという想いがあったからです。
雇用は現在、地元・気仙沼で創出されています。
京染悉皆と呉服販売業を業種としていた「御誂京染 たかはし」は、きものの肌着を主とした自社オリジナル商品を生産するようになり、「たかはしきもの工房」というブランドを立ち上げました。オンラインショップをオリジナル商品直営店として運営を始め、いまでは全国多くの店舗で取り扱っていただくようになりました。
その、たかはしきもの工房のオンラインショップで「こんなものも取り扱っているのですね」と言われる商品があります。
それが、海産物をはじめとした食品や地元気仙沼で製造された商品です(たかはしきもの工房本店 気仙沼名産品)。肌着のブランドが食品を扱うというのは違和感があるかもしれません。しかし、地元・気仙沼と共生すること。地元が元気になることで、私たち地元企業も元気でいられると信じています。
現在、たかはしきもの工房は24名の社員が、社長・高橋和江の指揮のもとで働いています。気仙沼の実店舗「御誂京染 たかはし」では、京染悉皆や呉服販売、各種お稽古ごとの運営を、オンラインショップ「たかはしきもの工房」では、商品在庫管理と毎日の配送が仕事の柱になります。配送は、速やかであることはもちろんですが、顔が見えないからこそ心配りがあることを意識しています。
いまどきのオンラインショップは、メールのみの問い合わせが多いですが、「丁寧な説明が必要な商品」なので、お客様からの質問や問い合わせはお電話でも対応しています。
「まず相手の気持ちと立場を自分に置き換える」。
社長・高橋和江の行動の規範が会社内でも浸透しています。催事で全国を休みなく移動する和江は、訪れた先でたかはしきもの工房のファンを作る名人。ありがたいことにお客様だけではなしに、各店の店主が二度三度、定期にと、お声がけくださるのです。もちろん、商品を認めてのことです。
たかはしきもの工房のユニークな商品の数々は、和江が生み出したものなのです。実用新案や特許を申請しているものも少なくありません。
和江は、自社商品の良さだけを語るのではなく、「一人でも多くの人にきものを着てもらう」ために、きものの良さを語ります。素材や仕立てや着付けの知識を通して発信する独自の情報は、2015年、編集者の目に止まり初の著書を出版しました。
「お手入れがきものを着ることのハードルになってはいけない」という、まさに満点スリップを開発した理由と寸分違わない内容をテーマに作られた、自分でできるきものの手入れの本です。
気仙沼は訪れるには不便な土地です。
しかし、たかはしきもの工房の母体である実店舗を訪れたい、あの気仙沼のリアルないまを見てみたいと、旅する女将の元に、旅するたかはしきもの工房ファンがやってきます。
「きものをやさしく たのしく おもしろく」をスローガンとするたかはしきもの工房の願いは、一人でも多くの人にきものを着てもらうこと。きものを着た人たちの笑顔が、たかはしきもの工房の原動力となっています。