平成26年4月

きものよきもの

表千家の茶道教室をやっています。
なぁんて恥ずかしくてとても言えないような教室です。
本来は母の教室なのですが、五年ほど前からは高齢を理由に夜のお稽古はいやだと言い出し、仕方なく私が代稽古をするようになっておりました。
それが震災以降、母はまったくお茶にかかわることを嫌がるようになり今では私が全てを仕切っている状態です。

お弟子さんがあまり熱心でなくて幸いだ…、なんて思っているふがいない私です。笑

実は先日初めて濡れ灰を作りました。
濡れ灰とは、炉中の灰とは違い湿り気がある灰で、お茶を点てる前に炭をくべる『お炭手前』というお点前の中で使う灰のことです。

炉の中の灰は季節の変わり目に炉中からあげてふるいにかけ、水であくを抜き、乾燥させ、またお茶を煮出してかけては色艶を出す、また乾燥させあくを抜き…、と非常に手がかかる代物です。
風炉といって置き炉にいれる灰などはさらに乳鉢ですりつぶさなくてはならず、ずぼらをはばからずに公言している私としてはトホホ…なのです。
この濡れ灰もその湿り具合が本当に難しい、作ってみてよくよくその大変さを実感しました。
『灰』は茶人にとって一番大事なものと言われるほど、手をかけ気持ちをかけ育て継ぐもの、とされています。

今まではそれを母がやっておりました。
お弟子さんをとるあたりから始めたと考えても三十年以上灰作りをしてきたわけです。
手塩にかける、とはまさにそういうことですね。 
『やっといい色になって来たなぁ…』とか言ってましたね、そういえば…

それを全て、震災でダメにしてしまいました。

今にして思えば、母にとってはかなりショックなことだったのでしょう。
それがお茶に対する思いを殺いでしまったのかもしれないと、濡れ灰を漉しながらふっと頭をよぎりました。
 
人の思いとは本当に難しいものです。
気持ちをかけることはものすごく素晴らしいことだけど、かけすぎればそれはこだわりとなり、一歩間違えば意固地になったり気持ちを閉ざすことになったり…

思いはしっかり表現しても、それがさらりとしていて素敵、みたいな、そんな人でいたいものです。