平成29年7月

きものよきもの

着物の世界は本当に奥が深いです。
どこまで行っても『よし!』ということはありません。
肌着を作り始めてから、フィッティング会に行ったり、肌着にまつわる講習会を開いていただいたりすることがどんどん増えてきているのですが、その現場でよく『先生』と呼ばれます。

でも先生という呼ばれ方に覚悟が決まっていない私は必ず、「いえ、先生はやめてくださいよ~。和江ちゃんでいいです。」なんて言ってしまいます。
さすがに「そうですか、では和江ちゃんと呼ばせていただきます~」などという人はいませんが、だいたいはたかはしさんに落ち着き、ほっとするのです。
本当に小さいお茶の教室も持っていますが、そこの生徒さんでさえ私のことを「和江さん」と呼び、けっして先生とは言わせないのです。

先生と呼ばれる覚悟、私にとってのそれは、その分野において全部わかり尽くさないとダメなのかもしれません。
私は相当に応用がきいて柔軟(いい加減ともいいますが)だと思っていますが、ただこの点についてはどうにもダメなのです。

先生と呼ばれてもわからないことはわからないと言っちゃっていいと思うのですが、どうも気恥ずかしくて仕方ないのです。
多分、子供のころから、決して優等生でもよい子でもなかった私にとって先生とは権威の象徴なのかもしれません。

人様が先生であることは全く受け入れられるのに自分はそれに値するとは思えず、また、先生などと呼ばれてしまったら単純な私はそれに胡坐をかきいい気になっていくかもしれないという恐怖があるのだと思います。

初めて着物の着付けを教え始めた時のチラシに『隣のお姉さんが教える…』(まだ30代でした!)という書き方をしました。
そうなんです、私は隣のお姉さん、隣のおばさんでいたいのです。
ちょっとお節介気味だけど、頼りになって親切なお隣さんになりたいのです。

着物の世界にはたくさんの先生がいて頼もしい限りです。
難しい世界です、導いてくださる方がいると着物の世界に入る勇気をもらえます。

でもひとつ気になっていることがあります。
それは生徒さんを自分のカラーに染めようとする行為、これがとても気になっています。
「あなたはこれがいいわ!」
「それじゃあだめよ、こうしなさい。」

肌着をやってみてよくわかったことに
「千差万別、人それぞれ」ということです。
このことをあまりわかっていない先生が決めつける言い方をしている気がしてなりません。

もちろん、そのように引っ張らないといけない生徒さんもいますが、困ったお顔の生徒さんも多いのです。
当社の肌着の定義も今までにない論理なので、それを受け入れてもらえないことも時折あります。
人それぞれですからそれはそれでいいのですが、生徒さんに押し付けるのはやめた方がいいように感じます。
生徒さんは気持ちの赴くままどんどん様々な情報を取り込んで、自分なりの解釈をし成長をしていくのですから。