森の恩恵に感謝しましょう【5分間スピーチ】

社員の5分間スピーチ

5分間スピーチとは?

スピーチ者 佐藤(愛)

「気仙沼のどんなところが好きですか?」
先日いただいたアンケートの中にこの質問がありました。

 

私の回答というのが、海と山と自然の循環が人の営みも通じて実感できるところと回答しました。みなさんは、いかがでしょうか。

 

来月、最終回を迎える朝ドラ「おかえりモネ」の中でも、モネのじいちゃんや登米のさやかさんのお話などで、山から川へ栄養が流れていき、やがて海に繋がって豊かな海を育んでいくというような話が何度か出てきました。

 

そのたびに「森は海の恋人」の畠山重篤さんを思い出し、さらに漁業は町全体で支えているんだと思い、ああ私はやっぱり町に育ててもらったなぁと感謝で涙が溢れてきたんですね。

 

こんなことを体感するのは、昔からではありませんでした。
今日は私の自己紹介も兼ねてお話させていただきます。

 

私は、1978年に気仙沼に生まれました。
父は船のエンジニア、母は遠洋まぐろ漁業の船主の会社で事務と、共働きであったため、物心つく前から日中は小さな酒屋を営んでいた母の実家で過ごしていました。

 

実家は海が目の前なので「地震あったら津波くっからてっきょさ逃げんだぞ(訳:地震があると津波が来るから高いところに逃げるんだよ)」と小さいころから教えられていたことを覚えています。

 

気仙沼小・中学校、鼎が浦高校を卒業し、大学は石巻専修大学で大学院修士過程を修了。
大学では海の生態学を中心に研究をしていました。そのため、山から川を通じて海に注がれた栄養が、小さな植物プランクトンを育み、それを食べる動物プランクトンから食物網の繋がりによって、海の豊かな資源が作られており、気仙沼の漁業も豊かな自然に支えられていることを深く知ることができました。

 

修了後、ある大手IT企業のシステム開発会社に就職し、企業の問題解決策としてシステムを開発してきました。業務分析を行い、問題解決に必要な機能を設計し、プログラミングとテストを実施し、納品、運用のサポートを行うという一連の作業を実務およびプロジェクトマネジメントも行ってきました。

 

そして、入社から9年目、東日本大震災が起こります。それまでは気仙沼は老後に過ごす場所としか思ってませんでしたが、とにかく何かしなければ町がなくなる危機感を強く感じました。

 

当時、現状では役に立てないと判断し、何か他のことをと探し始めたときに出会ったのがコーチングです。自分や周りの仲間が変化していくのを実感し、これを他の人にも提供したいと、10年間勤めた会社を退職。

 

そこから自分のサービスを提供するために、マーケティングを学んで実践していく日々が続いていきますが、思うように結果が出せない挫折感から、まったく動けなくなった時期がありました。

 

とにかく自分でなんとかしなきゃと誰にも相談せず、これまでに学んできたことを実践したり、本に書かれていることを考えてみたりとあがいていても、なかなか抜け出せないのです。

 

そんな状態でも気仙沼への想いが私の中にあることを気づき、ふと気仙沼の先人たちはどのようにして多くの震災から町を復興させてきたのかを知りたくなりました。

 

図書館で司書さんに聞きながら過去の歴史がわかる本を探してみましたが、災害の記録はあっても、復興の軌跡はわかりません。

 

しかし、自分の中で「先人たちは諦めない不屈の精神があったから私が知っている気仙沼の街ができた。」と腹落ちした瞬間、気仙沼で育った私もきっと大丈夫!と意識を切り替え、再び活動することができたのです。

 

このように私自身を支え救ってくれた気仙沼の街が、豊かな自然とその恵みをいただきながら人の営みも循環していることを感じられることで、自分に何があっても無くても、ただここにあるということが嬉しいのです。この思いを大切にしながら引き続き励んでいきます。


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