きものが贈る物語

きものが贈る物語

2020年8月にインスタグラムで募集した、フォロワーの皆様の【きものが贈る物語】をいくつかご紹介させて頂きます。
たくさんのご応募ありがとうございました!

企画概要はこちら

物語の紹介

きものが贈る物語

病衣を着た父が
「そういえば 自分の着物てもっていなかったなぁ 作っといてくれや」と 言った。
「いえいえ お父さん僕達がプレゼントしますよ」と夫が言ったが「いやいや、雄さん これは俺が買いたいんだよ。」と。
私は父が何を言いたいのかがわかった。

仕立て上がった着物を「羽織ってみる?」と聞いた私に父は「退院してからにするよ!」と笑顔で応えた。

桜の便りを聞く前に 納棺師さんに着付けて貰い父は旅立った。

似合いすぎて カッコ良すぎて妹と私はぐちゃぐちゃの笑顔になった。

その余り布で作った信玄袋と名刺入れは私の子供達に。
【念珠入れ】は 2人の叔父さんに。

暑い夏 従兄弟が親の葬儀にその念珠入れを使っていた。

別れは出会いを連れて来てくれた。

父から最後に貰った大切な贈り物である。
もう二度と貰うことができない大事な贈り物となった。

ryoukokado様

女将コメント

これ、ものすごく心にしみました。
私もすでに父を無くしていることもあるのですが、お父様がご自身の死期をわかってきものを誂えたというところがなんとも言葉になりません。
見習いたいと心からそう思いました。
私も、自分の最後の衣装をきちんと自分で決めたいと思いました。

きものが贈る物語

ようやく授かった初孫の初宮参り。
風習に則って、祖母である私が孫を抱いて記念写真を撮りました。
私の着物は、曾孫を見ることなく亡くなった義母から譲り受けたもの。
お嫁さんと娘の着物は、娘と赤ちゃんの父親である長男を自分の孫のようにかわいがってくれた叔母の形見。
そして孫の掛け衣装は、娘が生まれた時に義母が作ってくれたもの。
全て命のバトンのように受け継がれてきた着物たちです。
生死の境を越えて、みんなから祝福され、見守られていると感じた一日でした。(2018,秋)

eikaflower88様

女将コメント

きものがそこにいることで別の人が着ていても、なぜか元の持ち主も一緒にいるような気持になります。
この記事はまさにそれを表しています。私もいつもそれを感じています。
全て命のバトンのように、と書いてありますが、その通りなんだけど、なぜでしょうね。
どうしてきものって、そうなんでしょう、不思議です。
不思議で素敵です。

私の着物ライフの原点は、母からのお下がり着物。
中でも宝物の一枚は、この藍の結城紬です。初めて袖を通した時に感じたふんわりした温かさ、いっぺんで大好きになった着物です。
小柄な母の着物だったので、裄だけ出してもらって着ていました。あまりにヘビーユーズしたためか八掛の裾が擦りきれてしまい、今回たかはし着物工房さんでお直ししてもらいました。おかげさまですっかり新品みたいに✨
今年91歳になる母の着物、まだまだ大切に着ていきたいと思います。

eikaflower88様

きものが贈る物語

この着物は母の義理の伯母さんから
「こん着物は恵子ちゃんが今の栄ちゃん(私の母当時30歳位)になったら恵子ちゃんにやって、栄ちゃんじゃなかばい」
と言われたそうです。
その3ヶ月後その叔母さんは急になくなりました。
私の記憶は「八幡からべっぴんしゃんのきこざった(八幡からべっぴんさんが来てくれた)」でギューと抱きしめてくれた事しか覚えていません。
母は京城(現ソウル)から命からがら着の身着のままで引揚てきました。
内地も食糧難のなか叔父から「シンパイシテイル、ハカタニカエレ」を頼りに引き揚げてきました。
母は命の恩人の叔母の言葉を忠実に守り私にくれましたがたとう紙の中の着物は父の丹前のようで長いことそのままにしていました。
高橋さんと親しくさせていただきふとこの着物の事が思い出され悉皆屋さんとしての高橋さんに
「これ70年位前の着物らしいのだけど良い物じゃないかも何にも分からないから判断してよ」
「洗い張りして仕立てたらきっと見違えるようになるよ。黄八丈だと思うよ」
仕上がってきた着物は赤みが強くなって手触りも柔らかく、はなやかになりました。
あの戦争も乗り越えてきた着物。孫にも伝えたいと思います。

kkgoto様

女将コメント

これは確かにいい黄八丈でした。
独特な張り感、艶、手触り、こんな思いが詰まったものだとは知りませんでした。
私の仕事が役に立ってよかったと、こういう時に噛みしめます。

きものが贈る物語

きものの素晴らしさは代々伝えることができること還暦になって初めて孫ができると分かった私は自分が二十歳の時の小紋で一つ身を作り、義母の「二十歳の着物染め替えてして置いといた」と言う反物で被布を作りました。
更に2人目の孫も生まれたので着物は一緒でこの子の名前にちなんで私の父方の伯母が着ていた羽織を萌え色に染め替えて被布を作りました。
息子は「そんな昔の布劣化してないか」と訝っていましたが手触りや光沢見て「着物ってすごいなあ」と2人がもう少し大きくなったらそれぞれの着物への思いを話したいと思っています。

kkgoto様

きものが贈る物語

茶道を辞めたい頃があった。
先生がおっしゃる事が頭では分かれど、ちっともできない。
できない自分が苦しくて、一カ月お稽古を休んだ。
茶道をする夢を見て、またお稽古に伺わせて頂く事にした。

一カ月ぶりのお稽古に行く日、母が
「そう言う(お稽古に戻る)と思った。」と言った。
「これ、加寿子のサイズに直しといたから。」とこぶし柄の着物をくれた。

祖母が母の為に柄と色を選び、
染めに出し、祖母が縫い、母が着ていた着物。
私が生まれた時、お宮参りにも母が着ていた着物。

私が小さい頃に亡くなった祖母の選んだ物を、素敵だと思い、着れる嬉しさ。

これで自分で着れないなんて、
格好悪いことはできないと、
自分で着物を着るようになりました。

kuriharakazuko様

女将コメント

いいお話ですね~。お茶、私なんてずっといやで文句ばっかり言っていました。
それでも辞めないで今に至っているのは、自分でもわからずに惹かれるものがあったからなんだと思います。
そしてそれは、ちゃんと見抜かれてもいるんですね。
大人になってわかるのは、子供でも社員でも何を考えているのか、意外にみえるものです。
しっかりと見抜かれていましたね。きっと着物好きも…。

父親の仕事の関係で、私は子供時代を殆ど海外で過ごしました🇦🇺🇨🇦

欧米では仕事関係のパーティーは夫婦での出席が当たり前…
母はいつも着物で出席していました👘

今から46年前の1974年10月…🍁🌾
シドニー在住時代のパーティーへ出席したときの母の写真です🎵

オーストラリアの秋冬は日本ほど寒くないため、
父の務めていた会社側から、あわせの訪問着や付け下げを単衣仕立てにして持って行くように言われたそうです😲

まだ子供だった私は、いつも母がパーテイーへ行く準備で着物を着る姿を
衣装敷きの端に座って眺めるのが大好きでした😍

子供心にキレイだな〜、私も着てみたいな〜と思ってワクワクしていたことを今でも覚えています😌

「お母さんがその着物いらなくなったら、私にちょうだいね」と言っていました(笑)🎶

年月は流れ…私が大人になってから着物は洗い張りして、私の寸法で仕立て直しました✨

着物を着るときは、子供の頃に母の着物姿を見てワクワクした気持ちがいつも蘇ってきます💖

risa.kimono様

女将コメント

素敵なお母さまですね!同じきものを身に付ける、これはテンション上がりますね。
海外に在住なさった方がきものや和文化に目覚めるってよく聞くお話です。
日本にばかりいると日本の良さがよくわからず、外に出るといかにすごい国なのかに気づくと。
そういう方がどんどん増えることを祈ります。

母が祖母から私達の入学式用にと誂えた着物を私用にと、洗い張りして受け継いだ小紋の着物です。
主人の勤続25年のお祝いの式でその着物を着ました。
それから着物にはまり、着付け教室にも行くようになりました。
そして今では、自分で着付けて出かけるようになりました。
先日は、昭和なスタジオでインナー次第で着物姿が変わることを教えて頂きました。
日常的に着物を着られように頑張りたいと思います。

1655yoko様

女将コメント

小紋柄と言っても、飛び柄のとても品のいい柄だから入学式用になさったんでしょうね。
礼装としては訪問着や色無地が主流の昨今ですが、飛び柄小紋は小物や帯合わせさえ間違わなければ、
逆に上級の着こなしという感じでとっても素敵です。
きものを着始めるスイッチが入ったようですね!弊社商品もお買い上げ、ありがとうございます。
これから、どんどんきものを楽しんでください。豊かな人生のために…

当店ではこうした企画を継続してまいりますので、
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